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阿呆踊り 詩:n uma 曲:n uma
春の惰眠をまた貪ってさ
だるく背中に手を伸ばしてなぁ
ふふふって鼻唄なんかくゆらせては
斜めんなった太陽にキス投げてみる
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
返すがえすも惜しむらくは
苦楽を共にした友の不通
あちらをチラッとは荘厳な絵画のような
コンクリート切り取られた緑色
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
クスクスッて誰かが笑ってら
そのにのってオラほうも笑おうか
笑いの矛先が己なのなら
仰々しくバタバタ阿呆踊り
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
ちょっとくらいならばさぁ 阿呆を承知でさぁ
ササッと踊れたらなぁ 夢の痕で
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これは「n umaとその友人」のためにつくった曲。かなり明るめ。この詩をみていると自分でも「だいぶまるくなったなぁ」って思う。それは別に「昔はこんなにとんがっててよぅ」とかいう、元不良のおっちゃんが場末のバーでくだを巻く感じではなくてですね、「かなり言葉に対しておおらかになった」感じがするんですよ。
「おおらかになった」っていうのは、たとえば「キス」っていう単語。2年前くらいだったら絶対使ってない。使えていない。それは自分のなかで「こりゃあ使えない単語だなぁ」ってイメージがあるから。
それがいろんな人と音楽つくったりバンドやったりしていくなかで自分の中でもかなり意識がかわってきて、こういう単語があけっぴろげに使えるようになったと。けっこうこういうことってすごいことで。だって、いまこのページをごらんになっているアナタが、いきなり「詩をかいて」、しかもそれが日本語で、その言葉のなかに「キス」なんてかけないじゃないでうか。よっぽどのことじゃあない限り。それが自分のなかではだいぶ消化できるようになったんですね。いいことです。
そのほかにもかなりこの唄の詩にはギミックが隠されていて、いや、別に隠しているワケではないのですが、自分が言葉を表現するにあたっていろいろ「遊んで」いる部分が多いわけです。それはかるく韻をふんでみたり、言葉遊び的なアプローチだったり。この唄、意外に声にだして唄ってみると面白いんで、みなさんもよかったら口ずさんでみてくらっしゃい。 |
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