わたしのなまえ  詩:n uma 曲:n uma

わたしのなまえ おおごえでよんで
そしたらわたし わらえるわ
あなたのなまえ おおごえでよべば
のどのあたりが よろこぶわ
わたしのなまえ あなたによばるまで
きらいだったの おこるかな
あなたのなまえ さけぶわたしは
こどものかおで ほこらしい

息抜いて 生き抜いて ひと休みして はぐれぬように
あなたわたし 位置付けてく たったひとつの 名を呼びながら


あなたとわたし おたがいによんで
くんではほぐれる いいきょりで

あなたのなまえ うつくしいのね
わたしのなまえも ちょうどいい



「名前を付ける」っていう行為は、広く動植物を見ても人間に顕著にみられる特殊な行為だと思うんです。おいらは動物学者でもなんでもないからほかの動物はどうなのかはわかりませんが。まず、「ことば」というのを使う時点で特殊だもんね。n umaは「ことば」っていう存在や概念について非常に強い興味があるんだけどここではおさまりきらないから割愛。
で、「なまえ」。「名前を付ける」って行為はすごいことで。その人間を完全に支配するというか、「付けられた」人間にとっては原初に近いレベルでの「存在」を確たるものにされるわけだからものすごいことなんですよ。「ホニャララ君」「ホニャララちゃん」って呼ばれるとそれに相当する人間が振り向く。その人間はその「付けられた名前」によって世界のなかでの「自己」ってのを認識するんだと思います。
だから「自分の名前が好き、嫌い」に関わらずその「名前」は当人にとってものすごく大きい位置を占めるんですね。だから面白い。
そんなことを考えながらつくりました。好きな人にも「名前」があって、自分にも「名前」がある。その人のことが好きだからその「名前」を何度も反芻したくなる。呼びたくなる。唱えたくなる。
「ことば」と「名前」ってのには、そんな人類共通のものすごく原初的で強い関係が潜んでいるんだと思います。だからこそ「親になる、子供を産む、なまえを付ける」っていう一連の動作はすごいんだろうなぁ。なんて、たまには深い話を衝動にまかせて乱文でお届けしました。