徒労の間合い  詩:n uma 曲:n uma

徒労の間合い 測るかい
判るかい これぐらい
途方に暮れては 日は昇る

徒労の間合い 判らない
莫迦らしい 愚かしい
途方に暮れては 日は昇る
孤高に濡れては クシャミする

だから皹(あかぎれ)すらも 厭わないで
ヤスリの様な肌 確かめて
未だ夜が来る度疲れ果て
これが徒労トロトロ目を閉じる

対峙して 合図無しで
利き腕で 殴ります
血が滲み 涙も出て
これが今だと 言い切って
途方に暮れてる暇なくて
徒労の間合いを詰めてみた

そして君が近くに 来たならば
ヒリヒリしてる様な 気を纏い
斜め下から見上げ 声を上げ
威勢の強さをもって 脅すのです

腕を回してもがく 向こう岸へ
クタクタになり進む 人の群れ
陸地で酒を交わす 卑怯者
悪口で心つなぐ かりそめの

徒労の間合い知らぬ 塵(ゴミ)の群れ
お迎えが来ても尚 判らないで
ずっとヘラヘラしてて 痛いのに
徒労の間合い遠い 途方もない

ルルルルル 唄ってさ
ルルルルル 泣いてさ
ルルルルル 笑ってさ
ルルルルル 眠ってさ



「徒労の間合い」ってのは造語です。僕的にはそういう「間合い」ってのが判ると便利だなって思う。だれでも「無駄」なことはしたくないし、「意味ない」ことに時間を費やしてもしょうがない。
ただ、そういう考えが強すぎると人間として「ドライ」になってしまう。季節の変わり目の風の匂いだったり、虫のかっこよさだったり、そういう生活に関係の無い「副次的」なものへの興味が薄らぐ。
なるべくならいろんなものに興味を持ちたいし、毎日新しい気付きがありたい。それが例え自分の生命活動にまったく関係のないものだとしても。
と、ここまで至極当然な「正論」を言ったわけだけど、そううまくいかないのが人間ってもんです。どんなに楽しく生きても人間同士の衝突、食い違い、誤解、嫉妬、軽蔑などなどが「ひょいひょい」と顔だしてくる。
それらは中毒性があって、へんなカタルシスを心に与える。酔う。自分に。馬鹿なやつみて「あいつは馬鹿だ」っていって酔うのだ。その酔いは危険だぞ。自分だけが間合いをしっている気になってたら大間違い。僕は人一倍臆病なので雀ばりにすぐ距離をとるけど、それはそれで間合いを「誤っている」んだよね。だからなかなかコミュニケーションが上手にならない。心拍数をあげている場合ぢゃないのにね。それこそいらぬ気苦労を自分に課して、その徒労感に苛まされるわけですよ。