着岸  詩:n uma 曲:n uma

もうすぐ港が 青と青の間を縫うように
ひっきりなしに揺られては 寄る辺のない流木の様
幾度の夜を超え 幾度も夢をちぎり捨てた

うららかな日だ ちゃぷちゃぷとワルツを唄お

あの角の変な色の家 グラウンド よく遊んだ駄菓子屋も
公園 あの看板も そしてあの娘の白い家のも
そのままであるといいなぁ 朽ちても影落としてたらなぁ
一抹の不安と 密かな期待をわし掴み

時に荒れ狂った時化た日に 窓から少しだけ見た悪魔の手
ドアのノブを回すような軽い 所作でもろくも消ゆることを知って

ようやく腰据えて己と向き合う事にした
波間を弧描いて大きく廻り道の船旅

あの時あの場所で 言われた言葉まだ覚えてるよ

うららかな日だ ちゃぷちゃぷとワルツを唄お

端切れを縫い合わせた様な 記憶繋ぐ糸の中に嬉しさも
たとえ解(ほつ)れてめくれたとしても 新しい布と糸で繋げれば

ようやく腰据えて己と向き合う事にした
波間を弧描いて大きく廻り道の船旅



2010年10月頃作成
2010年11月に行ったライヴの為につくった唄。でも結局やりませんでした。
基本、「どこか知らない場所、遠くへ」目を向けた詩をよくかきますが、これは「回帰」の唄。「里帰り」的な。
どこか知らない場所へ思いを馳せるのはとてもドキドキする。基本楽しいイメージが強いし。もちろん未知の世界への不安や恐れもあるけども、そういう「知らない場所へ行くんだっ」って時は往々にして強気になるもんで、そうだからこそ動くんだろうし。
それにひきかえ、「回帰」ってもんはもっといろんな思いが複雑に交錯すると思う。期待もあるだろうけどそこしれない「オソレ」がある。なんていうんだろ、「いやぁ〜な予感」というか。仮においらも東京を捨てて秋田へ帰るとしたら、少しの楽しさと自分の原点へもどらなくてはならないという言い知れぬ不安感に襲われると思います。

「千年王国論」「ユートピア論」に代表される「どこか素晴らしい地平、場所に対する憧れ」ってのは「母胎回帰の念」が働いているという説があります。それは「個人的」なのか「人間というひとつの生物として」なのかはわからないけど、自身のアイデンティティの源へかえるってのは同時にかなりの不安を伴うものでないのかなと思うんです。
その「不安」ってのは「どのみち母胎にかえる事ができないんだ」っていう認識と、その認識に対する疑心からくるんでないかなぁ。で、その理論でいくと「どっか素晴らしいトコ行こうぜっ!」ってのと「故郷にかえろうぜっ!」っていう精神は、ベクトルとして「母胎」という同じ方向へ向いて行くのではないかしら。そういや、「宇宙に行く」ってのも「地球を産んだ源へ戻る」って言えるしなぁ不思議だなぁ。

などと思いながらつらつらとことばをつないでみたわけです。